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東京地方裁判所 平成3年(ワ)16081号 判決

原告

武田高幸

被告

西武ハイヤー株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、金一五九二万五一六二円及びこれに対する昭和六三年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、四分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金六二六六万四四五一円及び内金五九六六万四四五一円に対する昭和六三年一一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、車両に関し、信号機により交通整理の行われていない交差点において、一時停止線で停止した後に本件交差点を直進しようとしたタクシーが、右方から直進してきたオートバイの左側面に衝突した交通事故について、オートバイの運転者が、タクシー会社に対し、自動車損害賠償補償法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、損害の賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げない事実は争いがない。)

1  交通事故(本件事故)の発生

(一) 発生日時 昭和六三年一一月二八日午前四時三〇分ころ

(二) 事故現場 東京都東村山市恩多町五丁目二一番三四先路上

(三) 加害車両 被告が所有し、その従業員である村尾実が運転していた普通乗用自動車(タクシー、多摩五五い九三六四)

(四) 被害車両 原告が運転していた自動二輪車(多摩す九六二九)

(五) 事故態様 原告が、被害車両を運転して直進していたところ、一時停止標識のある左方道路から進入した加害車両と衝突した。

2  責任原因

被告は、加害車両を自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する義務がある。

3  原告の負傷内容・通院経過

原告は、本件事故により、左股関節後方脱臼、左臼蓋後縁骨折、左大腿骨骨幹部骨折、左脛骨高原はく離骨折及び複合靭帯損傷、近位脛腓関節脱臼、左脛骨近位骨幹部開放骨折の傷害を負い、次のとおり入通院治療を受けた(甲二、三、五、六、一六、一七、一八の1の1~17の2、一八の21の1~22の1、一八の24の1・2、一九、二〇、三二、乙三の1~4、11、五)。

(一) 防衛医科大学校病院

入院 昭和六三年一一月二八日から平成元年二月二八日(合計九三日)

(二) 小手指病院

入院 平成元年二月二八日から同年五月三日(合計六五日)

通院 平成元年五月四日から同年一二月九日(実日数五二日)

(三) 緑成会病院

通院 平成二年一月七日から同年四月二五日(実日数二二日)

(四) 小手指病院

入院 平成二年七月一一日から同年七月二〇日(合計一〇日)

(五) 防衛医科大学校病院

入院 平成二年八月二二日から同年九月二一日(合計三一日)

平成五年九月二四日から同年一一月二〇日(合計五八日)

平成八年四月三〇日から同年五月二四日(合計二五日)

通院 平成元年三月一日から平成八年七月八日(実日数五六日)

4  既払額

原告は、本件事故に基づく損害賠償として、自賠責保険及び被告から合計一八三八万七八三二円の支払を受けた(後記三の4のとおり、原告は、装具代として、直接業者に三六四円を超過して支払っているが、この分は、既払にならないので、右の金額にはこれを含ましめていない。)。

二  争点

1  事故態様に関する過失相殺

(被告の主張)

原告は、本件交差点に進入するに際し、左方道路上に加害車両の存在を認めながら、その動静を注視することなく漫然と走行し、本件交差点に進入した過失がある。したがって、しかるべき割合による過失相殺がなされるべきである。

2  治療経過に関する相当因果関係の有無及び過失相殺等

3  休業損害(本件事故当時の現実収入、労働能力制限の程度)、逸失利益(労働能力喪失の程度)を中心とした各損害額

第三争点に対する判断

一  事故態様に関する過失相殺(争点1)

1  前提となる事実及び証拠(甲二一、乙一の1~5、7)によれば、本件事故の態様について、次の事実が認められる。

(一) 事故現場は、青葉町方面から府中街道方面に東西に走る平坦な舗装道路(以下「東西道路」という。)と、栄町方面から久米川町方面に南北に走る平坦な舗装道路(以下「南北道路」という。)が交差する市街地の交差点である(以下「本件交差点」という。)。

東西道路は、両側にいずれも幅員一・五メートルの歩道が存在し、車道部分の幅員は六メートルである。中央線のある片側一車線の道路であり、最高速度は時速四〇キロメートルに制限されている。南北道路は、本件交差点の北側において、両側に各幅員一メートルの路側帯があり、幅員は、これを含めて五・八五メートルである。本件交差点の北側は、中央線はなく、一時停止標識が存在して停止線(以下「本件停止線」という。)が引かれており、最高速度は時速三〇キロメートルに制限されている。

東西道路は、西方向から進行してきた場合、左方(北)に沿って高さ一メートルほどの垣根が存在するものの、前方及び左方の見通しは良い。右方(南)は高さ一・四メートルのブロック塀が存在するため、見通しは悪い。南北道路は、北方向から進行してきた場合、前方及び右方(西)の見通しは良い。左方(東)は、フェンス及び高さ一・八メートルのブロック塀があるため、見通しは悪い。もっとも、本件交差点の北西角には、高さ二メートルの看板及び電信柱があり、南北道路の本件停止線付近から東西道路の本件交差点手前付近を見通す際、それらが若干視界を遮る状況にある。

(二) 村尾実は、加害車両を運転して南北道路を北方向から進行し、本件交差点手前に差し掛かった。村尾実は、本件交差点を直進するため、本件停止線に従って停止した。しかし、左方(東方向)の見通しが悪いため、その方向から進行して来る車両の確認に気を取られて右方(西方向)の確認を怠り、時速約一五キロメートルで本件交差点を直進しようとした。

他方、原告は、被害車両を運転し、時速約四〇キロメートルで東西道路を西方向から進行し、本件交差点手前に差し掛かった。原告は、南北道路の本件停止線付近に停止している加害車両を発見した。原告は、加害車両が停車しているのか、あるいは、一時停止しているのか判然としなかったが、東西道路が優先すると考え、そのままの速度で進行した。

(三) 原告は、本件交差点に進入しようとした際、加害車両が左方から進入して来たことに気づき、ハンドルをやや右に切って加害車両の前方を通過しようとした。しかし、間に合わず、加害車両の前部が被害車両の左側部に衝突した。

2  この認定事実によれば、村尾実は、本件停止線に従って停止したのであるから、左右の車両の通行を十分確認した上で本件交差点に進入すべき注意義務があった。ところが、村尾実は、それを怠り、比較的見通しの良い右方を全く確認することなく漫然と本件交差点に進入した過失がある。

他方、原告は、本件交差点の手前で停止している加害車両を認識していたのであるから、その動静に留意し、できる限り安全な速度と方法で本件交差点に進入する注意義務があった。しかし、原告は、それを怠り、自らが優先すると安易に考え、加害車両の動静に十分留意することなく、漫然と本件交差点に進入した過失がある。

この過失の内容、本件事故の態様などの事情を総合すれば、本件事故に寄与した原告の過失割合は、二五パーセントとするのが相当である。

二  治療経過に関する相当因果関係の有無及び過失相殺等

1  前提となる事実及び証拠(甲二、四、七、一三、一四の1・2、一五の1~4、二一、二二の1~22、二三~二五、二七の3、乙五、原告本人、調査嘱託の結果)によれば、原告の事故後の治療経過について、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故直後、防衛医科大学校病院に搬送され、同日(平成三年一一月二八日)中に左股関節脱臼の整復術を受けた。翌二九日には、左大腿骨骨折を金属プレート及びビスで接合するとともに、左膝前十字靭帯を鋼線及び止め具で再建し、膝関節内で挫滅した組織を切除するなどの手術を受けた。同年一二月一九日には、左脛骨近位骨幹部開放骨折を外固定器で固定して人工皮膚を移植する手術を受けた。その後、松葉杖での歩行が許可されて平成元年二月二八日まで入院治療を受け、同日、小手指病院に転院した。

小手指病院では、同年五月三日まで入院してリハビリ治療を受け、外固定器の抜去術を受けた。退院後は、定期的に防衛医科大学校病院に通院し(平成元年末日までに一三日)、小手指病院でリハビリ治療を受けた(平成元年末日までに五二日)。

平成二年月一月七日からは、緑成会病院に通院してリハビリ治療を受け、左大腿骨のレントゲン写真により骨癒合がなされていると判断されたため、同年七月一一日小手指病院に入院し、大腿骨のプレート及び靭帯の鋼線を抜去する手術を受けた。抜釘後は、大腿骨の穴が埋まるのに一か月ほどかかるため、歩行は許可されたものの、運動や無理な加重をしないようにとの注意を受けた。

(二) 原告は、平成二年七月二〇日に退院後は自宅で静養していた。ところが、原告は、平成二年八月二二日、自宅の階下に見知らぬ自転車を発見し、これを確認するために歩いて行ったところ、突然、左大腿部が「く」の字に折れ曲がって再骨折した。

原告は、そのまま防衛医科大学校病院に搬送されて入院し、同年九月三日、大腿骨内部にキュンチャー(直径一五ミリメートル前後、長さ四〇センチメートルほどの鋼鉄製パイプ状のもの)を打ち込んでビスで固定する髄内釘固定手術を受けた。同病院の医師は、この再骨折は、本件事故による左大腿骨幹部骨折と因果関係があると思われるとの診断をした。原告は、その後、同年九月二一日に退院し、歩行時には杖を使用してリハビリを続け、平成三年九月まで、おおむね一か月に一回程度防衛医科大学校病院に通院して診察を受けた。ところが、骨癒合が進まなかったので、それを促進するため、キュンチャーを固定しているビスを抜去して経過を観察したが、症状は改善されなかった。そこで、平成五年九月二四日、防衛医科大学校病院に入院し、同年一〇月一八日、またも手術を受けた。その後、平均して二か月に一回程度防衛医科大学校病院で診察を受け、平成七年一一月ころには、かなり骨癒合がなされていることが確認された。その後、平成八年四月三〇日に同病院に入院し、同年五月八日、抜釘術を受けた。同年五月二四日に退院後は、徐々に加重を開始して良好な経過をたどり、平成八年七月八日、症状固定の診断を受けた。

2(一)  再骨折と本件事故との相当因果関係

被告は、原告の再骨折は、本件事故と相当因果関係がないと主張する。

しかし、右の認定事実によれば、再骨折は、原告が、医師の注意に反する行動をしたことで発生したものではなく、許可されていた歩行をしていた際に生じたものである。防衛医科大学校病院の医師も、本件事故による骨折と再骨折は因果関係があるとの診断をしている。したがって、再骨折は、本件事故による骨折の通常の治療経過の中で生じたもので、不可避であったといえるから、本件事故との間に相当因果関係を認めることができる。

(二)  過失相殺

被告は、再骨折と本件事故との間に相当因果関係が認められるとしても、再骨折は、原告が左足に無理な加重をかけたために生じたものであるから、それに寄与した原告の過失を斟酌して過失相殺すべきであると主張する。

しかし、右に認定したとおり、再骨折は、医師から許可されていた通常の歩行の際に生じたものであり、原告が左足に無理な加重をかけたことにより生じたと認めるに足りる証拠はない。したがって、過失相殺はなされるべきではなく、被告の主張は理由がない。

(三)  素因減額

被告は、再骨折後、骨癒合が得られないまま異例の長期間が経過したのは、原告の体質等の素因が影響したことによるから、再骨折後、骨癒合が得られずに拡大した損害については、民法七二二条二項を類推適用して、原告の素因等を斟酌すべきであると主張する。

しかし、再骨折後、原告が骨癒合が得られるのに要した期間は、本件全証拠によっても、一般に再骨折をした場合と比較して、異例といえるほど長いか否か定かではない。仮に、異例といえるほど長いとしても、それが、原告の体質などに起因していると認めるに足りる証拠はない。したがって、この点についても、被告の主張は理由がない。

三  原告の損害(争点2)

1  治療費(請求額五九万五四二〇円) 二五九万二二二〇円

原告は、平成元年六月から平成八年七月八日まで、治療費として、五九万五四二〇円を負担した(甲一八の1の1~24の2、二八の1の1~19の3)。そして、被告は、これとは別に、治療費として一九九万六八〇〇円を支払っているので(争いがない)、過失相殺を行う関係上、これを併せた額を治療費として掲げる。

2  入院雑費(請求額四〇万六九〇〇円) 三六万五三〇〇円

原告は、防衛医科大学校病院及び小手指病院に、合計二八一日入院したので、入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円の二八一日分で、三六万五三〇〇円を相当と認める。

3  通院交通費(請求額二六万二九四〇円) 二六万二〇四〇円

原告は、平成元年五月から七月にかけて、防衛医科大学校病院及び小手指病院への通院にタクシーを科用し、合計二四万六一四〇円を支払った(甲一〇の1~88、弁論の全趣旨)。

また、原告は、平成元年三月一日から平成八年七月八日までの間に防衛医科大学校に通院した交通費として、西武電車を利用したとして一日あたり三〇〇円の五六日分として、一万六八〇〇円を負担したと主張する。しかし、原告は、その間、自宅から防衛医科大学校病院までの分として、平成元年六月と七月に、少なくとも三回はタクシーを利用したことが認められ(甲一〇の1)、これは、右のタクシー代に含まれているので、これを五六日から差し引くのが相当である。したがって、平成元年三月一日から平成八年七月八日までに防衛医科大学校病院に通院した五六日間のうち、五三日間の限度で、一日あたり三〇〇円の合計一万五九〇〇円を、さらに通院交通費として認めるのが相当である。

4  装具代(請求額なし) 五五万六二三二円

原告は、装具代として、五五万六二三二円を負担していたが、被告は、誤って、業者に対し、直接五五万六五九六円を支払った(争いがない)。そのため、原告は、これを請求していないが、過失相殺を行う関係上、ここに掲げる。

5  休業損害(請求額三二二六万六六〇〇円) 一七八五万四二七八円

(一) 本件事故当時の収入について

(1) 証拠(甲二一、証人志和彰、原告本人)によれば、まず、次の事実が認められる。

原告(昭和三六年一月七日生まれ)は、本件事故当時、志和彰が経営する居酒屋「村さ来」東村山店の店長をしていた。同店は、昭和五八年一一月一九日に開店したフランチャイズチェーン店である。原告は、昭和五四年に、志和彰が経営していたレストラン喫茶志和でアルバイトとして働くようになった。志和彰は、レストラン喫茶志和を辞め、開店当初から、原告を店長に据えて「村さ来」東村山店の経営をしていた。本件事故当時、同店には、アルバイトで約一〇人ほどの従業員のうち、常時七、八人が店舗に出ていた。原告は、仕入れ、接客、調理、アルバイトの管理、帳簿の記載等のあらゆる仕事をしていた。

(2) 原告は、志和彰との間において、当初から、収入として最低月額四五万円を確保する旨の約束をしていたものであり、本件事故当時、少なくとも月額四八万円を下らない収入を得ていたと主張する。

この主張を裏付ける証拠である休業損害証明書(甲八)には、本件事故直前の昭和六三年九月ないし一一月の三か月間は、いずれも月額四八万円の給与を支払っていたとの記載がある。しかし、作成者である志和彰は、少なくとも、正確な数字を記載したものでないことを認めており(証人志和彰)、この内容は採用できない。

また、原告は、本人尋問において、「村さ来」東村山店を開店する際、志和彰と、最低限月額四五万円の収入と、明確な金額を決めてはいないものの、年間一二〇万円程度のボーナスを保証してもらえるとの合意をしており、現実には、月額五〇万円以上の収入を得ていたと供述し、原告作成の陳述書(甲二一)にも同旨の記載がある。

しかし、証人志和彰は、事故当時までは、給料や歩合など種々模索しながら経営をしてきたと供述するにとどまっており、少なくとも、金額の合意が存在したとは供述していない。他に、このような合意の存在を裏付ける証拠もない。したがって、原告本人の供述のうち、少なくとも、金額の合意に関する部分は、直ちには採用できない。

もっとも、原告が、本件事故当時、月額五〇万円以上の収入を得ていたことに沿う証拠として、昭和六三年五月から同年九月までの収支が記載された「村さ来」東村山店の金銭出納帳(甲一二の1・2)が存在する。

しかし、原告が申請した証人である志和彰は、原告がこの金銭出納帳を作成したと供述するのに対し、原告本人は、原告が作成したものを前提に、志和彰が、税務対策上、支出はそのままに売上金額のみを減少させて作成し直したものであるとして、作成者という極めて重要な事項に関して相対立した供述をしている。

確かに、この金銭出納帳によれば、原告の本件事故前七か月間の各月収(保険料の支払も含む)は、いずれも五〇万円を上回っており、ボーナス月である六月を除いた六か月の平均月収は五五万円弱である(甲一二の1・2、三〇の1・2)。この数字は、金銭出納帳の摘要欄に「志和、武田」と記載されている支払金額をすべて原告の収入として含ましめている(甲一二の1・2、三〇の2)。しかし、証人志和彰及び原告本人は、いずれも、「志和、武田」と記載されているのは、二人で現金を分けたときであると供述し、原告本人は、どちらに幾ら支払われたのか定かでないし、志和彰に全額支払われたときもあると供述している。そして、摘要欄がこの記載であるときの支払金額欄は、二五万円程度の高額であることが多い(甲一二の1・2)。したがって、証人志和彰及び原告本人の右供述内容を前提とする限り、月収は、先の毎月五五万円弱よりも、相当程度低いことになる。また、二人で分けたとすれば、「志和」「武田」とそれぞれ記載すれば足りるのであって、証人志和彰は、支払金額を含めた「志和、武田」欄を志和彰が記載した箇所(昭和六三年一一月八日欄)があると自認していること、摘要欄の「志和(家)」との記載は、志和彰の家に届けられたとの趣旨であると説明しながら、昭和六三年九月二〇日欄に、「志和(家)」の「(家)」が消去されて「武田」の記載がされていることについて、この「(家)」の記載は、家に持って帰るから支払ってほしいと武田に伝えた分であるとして説明内容を変化させていること、この昭和六三年九月二〇日欄には、右とは別に、武田に二九万〇七一五円を支払った旨の記載があり同一期日に二回の支払がなされたかのような記載がある理由について、原告本人も、明確な説明をできないでいることなどの事情を併せて考えると、そもそも「志和、武田」欄の支払金額は、本当に原告に支払われているのか、後に「武田」の記載を加えた可能性があるのではないかとの疑いも払拭できない。

ところで、原告は、源泉徴収を受けておらず、確定申告もしていない(証人志和彰、原告本人)。したがって、現実収入の認定においては、それらに匹敵する厳格な証拠が必要であるというべきところ、先の金銭出納帳は、作成経過及び内容について不明朗な点が多く、この記載内容を採用するには躊躇せざるを得ない。そうすると、原告本人の供述及び陳述書の記載内容のうち、本件事故当時、原告が、月額五〇万円以上の収入を得ていたとの部分も直ちには採用することはできない。

(3) このように、原告の現実収入に関する正確な数字は定かでないものの、(1)で認定した業務内容からすると、少なくとも、昭和六三年賃金センサス産業計・学歴計・高卒男子二五歳から二九歳の平均賃金である年間三三一万五六〇〇円を下らない収入を得ていたと認めるのが相当である。

(二) 労働能力の制限について

証拠(乙五)によれば、防衛医科大学校病院の医師は、再骨折の手術をして約一年を経過した平成三年九月の時点において、原告に対し、就労するように指示はしていないものの、原告は、軽労働には従事することは可能であり、原告の仕事内容からしても、就労は、ある程度可能であったと判断していたことが認められる。

この認定事実及び二の1で認定した事実(特に、原告の業務の内容、症状及び治療の経過、通院頻度、防衛医科大学校病院の医師の就労に関する判断)によれば、原告は、本件事故当日である昭和六三年一一月二八日から平成三年九月三〇日までの一〇三七日間に、その後、症状固定日までに防衛医科大学校病院に入院した合計日数一一四日を加えた一一五一日間については一〇〇パーセント、平成三年一〇月一日から症状固定日である平成八年七月八日までの一七四三日間から、その間の入院合計日数一一四日を差し引いた一六二九日間については、五〇パーセントの限度で労働能力が制限されたと認めるのが相当である。

したがって、先の基礎収入を前提にして、この労働能力が制限された割合を乗じて原告の休業損害を算出すると、一七八五万四二七八円となる。

3,315,600×(1151+0.5×1629)/365=17,854,278

6  逸失利益(請求額二二三七万二五九一円) 一四〇二万〇五八九円

(一) 証拠(甲二二の3~22、二九の1、三二、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、症状固定の診断を受けた平成八年七月八日時点において、左下肢の短縮、左下腿骨の変形癒合、左膝及び左足関節の可動域制限が残存し、自覚症状として、左下腿から左足にかけてしびれ感や冷感が依然として残った。左下肢は、右下肢と比較して一・五センチメートル短縮している。左膝の可動域制限は、他動及び自動ともに、屈曲において、右が一六二度であるのに対し、左が一三三度、伸展において、右が〇度であるのに対し、左が一五度である。左足関節の可動域制限は、他動及び自動ともに、背屈において、右が三〇度であるのに対し、左が〇度、底屈において、右が七〇度であるのに対し、左が六〇度である。また、左下肢には、長さ六センチメートルから二六センチメートルの手術痕が複数残存している。

原告は、自賠責保険調査事務所において、左下肢の短縮が、自賠法施行令二条別表一三級九号の「一下肢を一センチメートル以上短縮したもの」に、左下腿骨の変形癒合が一二級八号の「長管骨に奇形を残すもの」に、左膝及び左足関節の可動域制限が各一二級七号の「一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」(併せて併合一一級)にそれぞれ該当し、併合一〇級の認定を受けた。

(2) 原告は、これらの後遺障害により、長時間立っていることができず、歩行に際して跛行するため、腰痛になることがある。走ることはできず、正座をしたり、和式便所を使用することができない。

原告は、症状固定の診断を受けた後、「村さ来」東村山店で徐々に仕事を行うようにしていたが、立って行う業務を十分に行うことができなかった。そのため、この仕事をあきらめ、栄養士の資格を取るために、平成九年四月から、専門学校の栄養科で勉強をしている。

(二) 右の後遺障害の程度、就労時における具体的な制約の程度を総合すると、原告は、症状固定時である三五歳から労働可能な六七歳までの三二年間にわたり、平均して二五パーセントの労働能力を喪失したと認めるのが相当である。

被告は、一・五センチメートルほどの下肢の短縮と左下腿骨の変形は、労働能力に影響するほどのものではないこと、膝及び左足関節の可動域制限は、元来、健側の可動域が日本人の平均を大きく上回っていることが影響し、患側の可動域もそれほど小さいものではないことなどを指摘して、労働能力を喪失した程度は二〇パーセントが相当であり、それも、代償動作の習熟等により、徐々に逓減すると主張し、これに沿う証拠(乙六)も存在する。

しかし、健側と患側の可動域に差異がある以上、労働に不便があることは否定できない上、下肢短縮や左下腿骨の変形が、身体の他の部分に与える影響も無視できない。そして、左足関節は、背屈が〇度であるなど、労働をする上で看過できない不便があるといわざるを得ないことを併せて考えると、被告の主張は、労働能力の喪失程度を過小に評価しすぎているといえるから、被告の主張は、直ちには採用できない。

そうすると、本件では、事故後約八年を経過して症状が固定しているから、原告が主張する年間五二四万三四〇〇円(症状固定時の平成八年賃金センサス産業計・学歴計の高卒男子全年齢平均賃金である年間五三一万二七〇〇円を上回らない額)を基礎収入として、ライプニッツ方式により、本件事故発生時(原告二七歳)から年五分の割合による中間利息を控除すると(係数一七・一五九〇-六・四六三二)、原告の逸失利益の現価は、一四〇二万〇五八九円となる。

5,243,400×0.25×(17.1590-6.4632)=14,020,589

7  慰謝料(請求額八一〇万円) 八一〇万円

本件事故の態様、負傷の内容、入通院の経過、残存する後遺障害の内容等の事情を総合すると、慰謝料としては八一〇万円を相当と認める。

8  過失相殺及び損害のてん補

1ないし7の損害合計額四三七五万〇六五九円から、本件事故に寄与した原告の過失割合として二五パーセントを減ずると、三二八一万二九九四円となる。

この金額から、原告が被告から支払を受けた一八三八万七八三二円を控除すると、原告の損害額の残金は一四四二万五一六二円となる。

9  弁護士費用(請求額三〇〇万円) 一五〇万円

認容額、審理の内容及び経過等に照らすと、本件事故と因果関係のある弁護士費用としては一五〇万円を相当と認める。

10  遅延損害金

被告は、症状固定日まで長期間を要したときは、事故発生日からの遅延損害金を加害者に負担せしめることが酷であると認められる特段の事情がある場合に限り、症状固定日から遅延損害金を算定するのが公平であり、本件では、特段の事情が認められると主張する。

しかし、不法行為に基づく損害賠償債務は、身体傷害の損害の発生と同時に催告なくして遅滞に陥るものであって、同一事故による同一の身体傷害を理由とする損害賠償債務は一個であるから、逸失利益を含めて事故発生日から遅延損害金を請求することは制限されない。他に、症状固定時までの遅延損害金の請求をすることが、信義則上許されないとする事情も、特に認められない。

したがって、被告の主張は理由がない。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、不法行為に基づく損害金として一五九二万五一六二円及びこれに対する昭和六三年一一月二八日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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